2012年5月16日水曜日

碓氷峠の鉄道遺構群(おまけ草軽電鉄)

2012/05/12 碓氷峠の鉄道遺構群を歩いて見学した

碓氷峠 - Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%93%E6%B0%B7%E5%B3%A0

最初の目的は国道18号の碓氷峠旧道をドライブすることだった。頭文字Dの聖地巡礼ということでもちろん走りながら
「行くわよ真子!!死ぬ気で攻めなさいよ!!」
「OK沙雪そうこなくちゃあ!!」
とか考えてたw最初の数コーナーはそんな感じだった。

が、なんか廃隧道が現れた。これ信越本線の旧旧線と旧線の廃線跡だ。忘れてたwめがね橋とか熊ノ平とかどのへんだろ?とか考えはじめたら最後、流しっぱなしのC121とかすっかりスルーしちゃってたwたまにこうやって俺のオタク趣味が2個かぶる。それがオタクロームw

真子よろしく峠を攻める気などはすっかり失われ廃線や廃隧道を見ながらノロノロと熊ノ平まで降りてくると、ヘアピンカーブの内側に駐車場が完備されていたのでそこにシビックを駐車して見学スタート。


階段を上がると目の前に熊ノ平駅の跡が広がる。このように見学路には砂利がきれいに敷かれており歩きやすい。なおかつロープで囲われているので迷ったり線路に立ち入ったりしにくく、非常に気が利いていると思った。
熊ノ平は単線時代の信号場跡で前後をトンネルに挟まれた小さな平地にある。奥にトンネルが4本見えている。左から旧線上り、旧線下り、旧旧線(アプト線)、旧旧線突っ込み線トンネルである。ご覧のように架線や設備はほとんど旧線現役時のまま遺されているように思えた。

アプト線跡は遊歩道(アプトの道)としてなんとここから横川駅まで整備されており、碓氷峠の名所であるめがね橋までは1.2kmということなので徒歩で往復することにした。どうも熊ノ平からめがね橋までの遊歩道はつい最近公開されたところみたい。ラッキー!


隧道内は綺麗に整備されており、照明もあるので怖くない。侵入してドキドキしながら歩く廃線跡とは違いゆっくりと満喫することが出来る。今日は快晴ということもあり隧道の出口ではご覧の絶景。隧道が連続しているのがわかる。写真では分からないがこのあたりは66.7‰の下り坂である。アプト式じゃなければ決して登ることができなかったであろう、鉄道らしからぬ急坂だ。


めがね橋に到着。到着時はもちろん橋上なので歩いて渡橋した。高い!下を覗きこむと足が震えた。橋から谷の上部を見ると、旧線の上下線の橋梁が並んでいて、鉄道写真でよく見た構図なのを思い出した。ここは碓氷峠随一の撮影名所である。



遊歩道で橋の下に降りられた。ものすごく美しい橋だ!ここは国道もものすごくうねっており険しい地形であることが伺われる場所。よく明治時代にここまでしっかりした橋をかけたものだと感動すら覚えた。
廃線跡を歩く人は殆どいなかったのに、橋には観光客がいっぱい。この橋だけを見る人が圧倒的に多い。付近に駐車場はないので、めがね橋駐車場からは少し歩くことになるのだろう。対して熊ノ平の駐車場はガラガラだったので、廃線跡を歩きたい場合は俺と同じルートをおすすめする。

めがね橋の上ではボランティアのおじさんが案内をしていたので話しかけてみた。なんと国鉄の元車掌でありアプト時代にも乗務していたという。伺った話の要点は以下。

・めがね橋の上は傾斜が弱くなっている。熊ノ平側から子供が走ってくるとその勾配変化でコケるw
・最初は蒸気機関車だったが、横川で蒸気圧を上げるため石炭を盛んに燃やしたのでばい煙は下のほうがひどく、トンネルの保存状態も悪い。熊ノ平側は蒸気圧が上がり石炭をあまりたかなくても良かったのでトンネルもきれい。
・旧線の鉄道設備はほとんど全て残っているが、それはJRに撤去する金がないため。自治体主導で峠区間を復活させる計画もあったがJRが反対しているのでできない。ロクサンも特殊だし。なおかつ碓氷峠区間は輸送密度が大変低かった。関越トンネル区間よりもだいぶ低いらしい。
・アプト時代の始発列車は乗客数人で全員顔見知り。乗務中もウトウトしていたがアプト区間に入るときにガクンとショックがあるのでそれで目覚めていた。(←時効なのでw)つまりラックレールは横川から軽井沢の全区間にあったわけではなく、一部であった。
・ラックレールを展示しようとしたが心ない者にごっそり盗まれてしまった。

貴重なお話を聞かせていただいた元車掌さん、ありがとうございました。


横川駅ではホームの真横に車を駐車できたので、JR信越本線の電車といっしょに記念撮影!

まとめとして、今回歩いた廃隧道や橋梁群は安全で各所に説明板があったりと非常によく整備されていて、全国でも珍しい保存施設だと思った。今度はぜひ横川からめがね橋まで歩いてみたいなあ。長いけど(^-^;)

<おまけ>

碓氷峠に来る前に草軽電鉄の北軽井沢駅跡を訪れた。

草軽電気鉄道 - Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E8%BB%BD%E9%9B%BB%E9%89%84



広い駐車場があり観光案内所のおばさんに尋ねるとこの建物は当時の建物を補修したものだそうだ。ホームもほぼ当時位置に復元されているとのことだった。とてもきれいに復元されていて一見の価値有り。機関車はデフォルメ模型ではあるが、珍しい形で興味深い。
駅前の雰囲気もおそらく当時のままであろう。噴水広場や古い商店街があり雰囲気は良い。
隣の観光案内所には草軽電鉄の資料館も併設されており、貴重な展示物を見ることができる。
特に当時の時刻表は面白かった。草津温泉まで3時間!?時間かかりすぎw


草軽電鉄は軽井沢から草津温泉を結ぶという現代では考えられない欲望に忠実な路線だと思う。俺はこの路線を故宮脇俊三先生の名著「廃線跡を歩く」シリーズで知り、そのように感じていた。なぜなら軽井沢-草津温泉間はおよそ鉄道を建設するには適さない急勾配ルートであり、建設できるとするならば等高線に添ってくねくねと遠回りをしながら、森林鉄道のような路線を建設するしか無い。およそ利便性とかけ離れた鉄道になってしまう、が、それを作ってしまったのが草軽電鉄なのである。超萌える!したがってバスなら40分程度の軽井沢-北軽井沢間に90分もかかってしまう。その先もスイッチバックなど鉄道ファンだけが喜ぶ遅延設備wにより草津温泉までは軽井沢からだと3時間以上もかかっていしまうのだ!これは遅すぎる。そのためモータリゼーションの影響を受けるのも早く、1962年には廃止になってしまった。

そんなわけで草軽電鉄は今も存在するなら超乗りたい路線である。

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